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遷都1300年の奈良で唐菓子を求めて10 奈良公園散歩4

101010奈良春日大社-(1)
若草山から春日大社の回廊の北側から西に回って境内に入りました。

春日大社710年(和銅3年)の平城遷都の際に国家鎮護のため常陸国一ノ宮・鹿島神宮より武甕槌命(タケミカヅチノミコト)様を御蓋山(ミカサヤマ)にお迎えしたのが始まりです。 その際、白鹿に乗ってやってきたとされることから、鹿が神使とされます。 ちなみにヒンドゥー教では鹿の角を持った獣の王・パシュパティがシバ神の一つの化身だそうです。 東国より神様をお迎えしたというのは意外でした。
いつか鹿島神宮にも参拝に行ってみたいです。


101010奈良春日大社直会殿吊り灯篭 101010奈良春日大社藤浪之屋萬灯篭再現 101010奈良春日大社灯篭
吊り灯篭は毎年・お盆の8月14、15日に中元万燈籠(ちゅうげんまんとうろう)という行事に灯されるそうです。 境内の藤浪之屋(ふじなみのや)で通年再現できるように燈籠に火がともされています。

春日大社のサイトによると・・・
「当社の燈籠は石燈籠約2000基、釣燈籠約1000基の合計約3000基あります。
中でも全国で2番目に古い石灯籠といわれている伝関白藤原忠通奉納の「柚木燈籠」(1136年)や藤原頼通の寄進と伝わる「瑠璃燈籠」(1038年)をはじめ、平安末期より今日に至るまで、その大半は春日の神を崇敬する人々から、家内安全、商売繁盛、武運長久、先祖の冥福向上等の願いをこめて寄進されたもので、特に室町末期から江戸時代にかけては一般庶民や春日講中からのものが多いです。」と燈籠は寄贈されたものばかりだそうです。

昔は燈籠奉納時、油料も納められ、その油の続くかぎり毎夜灯がともされていましたが、明治時代に入り神仏分離や神社制度の変革で、一旦中断したものの、節分の夜は同21年、中元の夜(8月15日)は昭和4年に再興され、現在の万燈籠の形となりました。
しかし、もっと古く室町時代や江戸時代に、奈良町の住人が春日参道で、雨乞い祈祷として万燈籠を行っていました。記録には、興福寺大乗院の尋尊僧正の日記で、今から500年余り前の文明7年7月28日、「祈雨のため、南都の郷民、春日社頭から興福寺南円堂まで、燈籠を懸く」とあり、当時は木の柱に横木をつけ、それに行燈か提灯の様な手作りの仮設の燈籠を懸け行っていたと考えられます。故に浄火を献じて神様に様々な祈願をすることが万燈籠です。」と雨乞いが主な目的だったそうです。 時期的に先祖崇拝ということもあるでしょうが、意外です。

101010奈良春日大社南門 101010奈良春日大社幣殿 101010奈良春日大社中門御廊
春日大社の参拝は有料の本殿まで参拝しました。 ただ、拝殿から先へは行けませんでした。 古式ゆかしい日本の神社でした。

101010奈良春日大社伏鹿手水所 101010奈良春日大社二の鳥居
帰りは通常の参道を逆行しました。
鹿がお使いの神社らしく、沿道には鹿の像の手水所がありました。

101010奈良興福寺東金堂五重塔 101010奈良猿沢池 101010奈良アーケード商店街
こちらも数々の国宝・重要文化財を持ち世界遺産の興福寺は特別公開の東塔、国宝館とも長蛇の列だったので次回の機会にと思い境内を散策して奈良の町屋を散策しました。 お菓子をいくつか購入して近鉄特急京都に戻りました。

テーマ : 京都・奈良
ジャンル : 旅行

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笹団子@東京

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2009年11月以前の話題については旧ブログ、笹団子のひとりごと http://green.ap.teacup.com/gogodango/ をご覧になって下さい。

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