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会津若松散策5・御薬園見学 東日本大震災からの復興祈願72

昼食の後は会津藩の薬草園で庭園でもある御薬園(おやくえん)へ。
111029会津若松御薬園正門 (1) 111029会津若松御薬園正門 (2)

111029会津若松御薬園薬用植物標本園
御薬園には今も薬草園が残っています。
会津藩では朝鮮人参の栽培を奨励し藩直営の事業とするために人参奉行所を設け、人参の生産販売を専売制としました。 藩士や農民の尽力で清朝に輸出をするまでにしたそうです。

111029会津若松御薬園楽寿亭刀傷
御薬園戊辰戦争当時は新政府軍の治療所として使われたので全壊は免れましたが、当時の戦闘によるものと言われる刀傷が残っています。 ちなみに会津では新政府軍は西軍と呼ばれているそうです。

111029会津若松御薬園庭園 (2) 111029会津若松御薬園庭園 (3) 111029会津若松御薬園御茶屋屋敷 111029会津若松御薬園庭園
緑豊かで池を配した庭園もあって園内のお茶室で抹茶をいただくのもいいでしょうね。

111029会津若松御薬園重陽閣
園内の重陽閣(ちょうようかく)秩父宮勢津子妃殿下ご一家が泊まられた東山温泉新滝旅館(現くつろぎの宿新滝)を移築された建物で中には秩父宮勢津子殿下の展示がありました。

妃殿下は会津藩最後の当主であった松平容保(かたもり)公の孫にあたり、ご成婚が決まったときは「明治維新で逆賊の汚名を着せられた会津の名誉を回復できた」会津にとって大きな誇りになったそうです。
重陽閣では英国生まれで紅茶がお好きだった妃殿下にちなんでアフタヌーンティーが楽しめます。
妃殿下は白洲正子学習院で同級生涯の友だったそうで一緒に写った写真が多く展示されていました。 東北電力会長であった白洲次郎とも親しかったようで只見川の発電所建設工事を視察する写真もありました。 

その只見川にある複数の水力発電所は今年の水害で被害を被り東北電力にとって大きな打撃になりました。 一日も早い復旧を祈るだけです。

テーマ : 東日本大震災
ジャンル : ニュース

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No title

 おはようございます
>ご成婚が決まったときは「明治維新で逆賊の汚名を着せられた会津の名誉を回復できた」と会津にとって大きな誇りになった・・・
 :静岡県の御殿場に秩父宮記念公園があり、秩父宮殿下の別荘だったものが、市に寄贈され公園として開放されています。花の公園で、3度ほど見物に行きました。その資料の中で、同じ記述を見たことを思い出しました。
>会津藩最後の当主であった松平容保(かたもり)・・・
 :先の戊辰戦争の話題の繰り返しになりますが、松平容保(かたもり)は京都所司代の役に付くことを固辞していたと聞いています。最後はどうしても断りきれずに引きうけたと。歴史はいろんな関連で複雑に絡み合っていますね~

御殿場別邸

妃殿下は学友だった白洲正子の実家、樺山家の別邸が御殿場にあったことがきっかけで御殿場に縁があるようです。

御殿場別邸は戦時中は秩父宮殿下の静養のために白洲次郎のように畑を耕しながら、戦後は晩年まで夏期を御殿場で過ごされお気に入りだったようです。

松平容保公は気が進まなかった京都所司代を勤めたことがきっかけで薩長の恨みを買って、家訓を守ったことだけでなく領内に戦火をもたらしてしまいました。
そのせいなんでしょうか? 実は今は青森県にある三万石の領地に移封になる際に若松に近い猪苗代も選択できたのですが、そうした背景もあったのかもしれません。
プロフィール

笹団子@東京

Author:笹団子@東京
名前:笹団子
年齢:不詳
誕生日:不明
性別:男
職業:不詳
一言:東京在住の笹団子の食べ歩き+温泉+猫ネタetcのブログ

2009年11月以前の話題については旧ブログ、笹団子のひとりごと http://green.ap.teacup.com/gogodango/ をご覧になって下さい。

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