スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

会津若松散策6・飯盛山白虎隊自刀の地訪問 東日本大震災からの復興祈願74

次は幕末に結成された会津藩の少年藩士の部隊・白虎隊が自刀をとげた飯盛山まで行きました。
自刀した19士の墓所は数え切れないくらい階段を登ったところにありました。 そのため、江ノ島のエスカーみたいな有料の上り専用のエスカレーターがありました。

111029飯盛山自刀十九士の墓 (2) 111029飯盛山自刀十九士の墓
墓所は線香の煙が立ち込めて常に団体さんが来ている雰囲気でした。

111029飯盛山ローマ市寄贈の碑 111029飯盛山ローマ市寄贈の碑看板 111029飯盛山フォンエッツドルフ氏寄贈の碑 111029飯盛山フォンエッツドルフ氏寄贈の碑看板
墓所のある広場の反対側に1928年(昭和3年)に当時のイタリア・ファシスト党から、1935年(昭和10年)6月に当時の在日ドイツ大使館詰めの外交官・フォンエッツ・ドルフ氏から贈られた白虎隊を称える碑がありました。 
戦後にGHQが碑の文言を削りましたが、その後修復されています。

イタリア、ドイツの碑の向こうが墓地になっていてその先に自刀を遂げた場所があります。
111029飯盛山郡上藩凌霜隊之碑
その途中に美濃郡上藩の藩士により結成された凌霜隊の碑があります。 戊辰戦争で鶴ヶ城に立てこもったのは会津藩士だけではなかったようです。

111029飯盛山白虎隊自刀の地 (6) 111029飯盛山白虎隊自刀の地 (1) 111029飯盛山白虎隊自刀の地 (2)
111029飯盛山白虎隊自刀の地 (3) 111029飯盛山白虎隊自刀の地 (4)
自刀を遂げた場所は開けていて会津若松市街が一望できました。 白虎隊自刀の絵には大きく描かれた鶴ヶ城は意外と小さく、辛うじて見えました。 白虎隊は城から煙が上がったのを見て陥落したものと思って自刀したとのことですが、一人だけ生き残った飯沼貞吉氏が伝え残した資料によると鶴ヶ城が陥落していないことを知りながら敵に捕まり生き恥をさらすよりも死ぬことを選んで自刀したとのことです。
いずれにしても十代の若者ながら武士道を守り、短い生涯を自ら終えた生き様は悲しいながら侍そのものだったということです。

111029飯盛山白虎隊自刀の地 (5)
近くには仙台育英学園の創立者会津若松出身加藤利吉翁の墓がありました。
この地は会津若松市民にとってステータスシンボルのような墓地のようです。

テーマ : 東日本大震災
ジャンル : ニュース

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

笹団子@東京

Author:笹団子@東京
名前:笹団子
年齢:不詳
誕生日:不明
性別:男
職業:不詳
一言:東京在住の笹団子の食べ歩き+温泉+猫ネタetcのブログ

2009年11月以前の話題については旧ブログ、笹団子のひとりごと http://green.ap.teacup.com/gogodango/ をご覧になって下さい。

FC2カウンター
twitter
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
カテゴリ
リンク
検索フォーム
QRコード
QRコード
RSSリンクの表示
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。