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’12夏の三陸の旅7 南三陸町の現状2 東日本大震災からの復興祈願131

続いて志津川(しづがわ)地区へ向かいました。(この記事は7月2日時点の話です。)

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120702南三陸ホテル観洋-(5) 120702南三陸ホテル観洋-(1)
にわかには信じられませんが震災直後にホテルの対岸の島まで潮が引いて、ベテランの職員から津波が来ることを告げられ避難されたそうです。 ホテルは岬にあるために2階(斜面に建っているのでフロントは5階)まで浸水したものの、被害は比較的軽微だったそうです。 南三陸町はホテル観洋が復興に多大の貢献をしているように感じました。

120702南三陸志津川-(1)
破壊された堰を通って志津川地区に入りました。

120702南三陸志津川-(5) 120702南三陸志津川-(6) 120702南三陸志津川-(12)
最初に公立志津川病院跡を通りました。 こちらでは解体作業の真っ最中でした。 あと数ヶ月で女川町のように更地になるようです。

120702南三陸町防災庁舎-(1) 120702南三陸町防災庁舎-(2) 120702南三陸町防災庁舎-(3)
次は避難誘導の放送を繰り返して殉職された若い女性職員で有名になった南三陸町防災対策庁舎です。
女性職員が最後まで放送をしたと誤解されていますが実際は危険を察知した上司の方が女性職員を屋上に避難させて自分が放送をしたそうです。 放送の最中に津波に飲まれて今も行方不明だそうです。 当時、庁舎には40人の職員がいたそうですが屋上のアンテナにつかまった4人と非常階段の柵につかまって助かった4人以外は死亡もしくは行方不明になりました。 マスコミが女性職員のことばかり取り上げたので他の遺族から「犠牲になったのは一緒なのに」と抗議が出たことと「思い出したくない」との苦情から一時は震災を伝えるために残すとされていたこの庁舎も解体されることになりました。
他の殉職された職員の方々も町を守るために犠牲になったのです。 女性職員のご遺族には罪はありませんが犠牲者は平等に扱うべきでしょうね。
南三陸町は今でも300人くらいの方が行方不明だそうです。
ここは被災地応援ツアーが立ち寄るようで、観光バス数台が近くに停車していました。

 高台に老人介護施設があったのですが、近くの志津川高校に部活動でいた生徒の必死な避難誘導の甲斐あって28人避難させることができたのですが、気温の低さと電気が必要な機器を使っていたお年寄り8人が亡くなられたそうです。
 津波は志津川の町の建物をほとんど押し流しましたが、到達しなかった建物は難を逃れました。 ただ、そのため住居を失った住民との間に感情的な溝が生じてしまったそうです。

 被災した南三陸合同庁舎で引き返して南三陸町総合体育館・ベイサイドアリーナへ。

120702南三陸志津川-(7) 120702南三陸志津川-(8)
途中、津波で流され、押しつぶされた自動車の置き場を通りました。 つぶれ方が津波の恐ろしさを感じさせます。

120702南三陸志津川-(9)
この広場にはスーパーマーケットがあったそうです。
高い所をバスは走りましたがJR気仙沼線の陸橋です。 レールは無く、線路の盛り土は津波でズタズタにされてしまいました。
志津川地区には町役場、公立病院、志津川高校があって町の機能が集まった地区なのですがほとんど津波の被害で破壊されてしまいました。 その被害は甚大で町の復興には時間がかかるようです。
120702南三陸志津川-(10) 120702南三陸志津川-(11)
町の中心部だったところは荒野と化していました。


高台にある山を造成したベイサイドアリーナ付近は仮町役場志津川病院が建てられ、仮の町の機能が集中しているようです。

震災直後にイスラエル軍が診療所を開いたプレハブが残っているのを見ました。 ベイサイドアリーナは避難所でした。
イスラエル軍はパレスチナで悪役になっていますが、震災では医療団を南三陸町に派遣して言葉に困らないように日本育ちの姉妹の若い女性兵士を随行させました。 こういう面もあることを知るべきでしょうね。

 最後に仮設魚市場を通りました。 近くには水産業者のプレハブが建ち、震災前よりわずかですが漁業が行われているようです。
 南三陸町は特に甚大は津波被害を被りましたが仮設商店街もできて道のりは長いようですが、少しずつ復興が進んでいるようです。

テーマ : 東日本大震災
ジャンル : ニュース

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No title

 おはようございます
>女性職員が最後まで放送をしたと誤解されていますが・・・
 :私もそのように思っていました。
>この庁舎も解体されることになりました・・・
 :いろんな意見があると報道で聞いていましたが、解体に決定したのですね。
>日本育ちの姉妹の若い女性兵士を随行させました・・・
 :そうなんですか~
>少しずつ復興が進んでいるようです・・・
 :気持ちだけですが応援しています。

南三陸町

>>女性職員が最後まで放送をしたと誤解されていますが・・・
> :私もそのように思っていました。
これはメディアの問題でしょうね。 きちんと上司の方が最後に避難誘導をしたと報道したメディアもありましたが。

以下の動画には上司の方と思われる男性の避難誘導のアナウンスが記録されています。
http://www.youtube.com/watch?v=KKnNAAuRaAk&list=PLFA9838D9546A6B13&index=5&feature=plpp_video

ただ、新婚の若い女性が職務を全うして殉職されたのはとても悲しいことでいかに被害を少なくするか?大きな課題です。

この避難誘導の話は普段からまめに日本について報道する台湾でも報道されて多額の義援金につながる要素の一つになったかもしれないですね。
http://www.youtube.com/watch?v=kSKD60fngpo&list=PLFA9838D9546A6B13&index=43&feature=plpp_video

南三陸町のイスラエル軍の医療活動については以下の動画で紹介されています。
http://www.dailymotion.com/video/xi3n2z_yyyyyyyyyyyyyyyyyyyy_news

>気持ちだけですが応援しています。
私もそう思います。

生々しい傷跡

>「思い出したくない」との苦情から一時は震災を伝えるために残すとされていたこの庁舎も解体されることになりました。

復興のためには、震災や津波のことを忘れないことも大切ですが、まだ傷が癒えない当事者にとっては、忘れたいことなんでしょうね。

失ったもの

>傷が癒えない当事者にとっては、忘れたいことなんでしょうね。
東日本大震災ではあまりに被害が大きくて人命、財産、地域のつながりなどたくさんのものが失われました。
一度に失ったものが多かっただけに現実を受け入れるのは時間がかかるのかもしれないですね。
プロフィール

笹団子@東京

Author:笹団子@東京
名前:笹団子
年齢:不詳
誕生日:不明
性別:男
職業:不詳
一言:東京在住の笹団子の食べ歩き+温泉+猫ネタetcのブログ

2009年11月以前の話題については旧ブログ、笹団子のひとりごと http://green.ap.teacup.com/gogodango/ をご覧になって下さい。

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